【仏教の教えを簡単に解説②】浄土三部経「佛説観無量壽経」の意味と内容

お経とはお釈迦様とお弟子さんたちの問答を物語のようにまとめたものです。そのためお経には当然意味があり、それを理解することでお釈迦様が何をお伝えしようとしたのかを知ることが出来ます。

浄土真宗がなかでも大事にしているお経が3つあります。1つ目は佛説無量壽経、2つ目は佛説観無量壽経、3つ目は佛説阿弥陀経です。今回はこれら浄土三部経のうち、佛説観無量壽経についてどのような内容であるかを、簡単にわかりやすく解説します。

お経が描写している状況

ある時釈尊は王舎城の耆闍崛山に1,250人の優れた弟子と32,000人の菩薩と一緒にいたそうです。

またその当時王舎城には阿闍世という王子がいて、悪友にそそのかされ父の頻婆娑羅王を牢獄に閉じ込めていました。王妃の韋提希は自分の体に小麦粉を塗り、胸飾りにぶどうの汁をまぜて面会することで、密かに王の命を繋いでいました。その間頻婆娑羅王は王舎城の釈尊の方へ向かい「私に八斎戒をお授けください」と願います。釈尊は願いを聞き入れ、尊者目連と尊者富桜那という2名の弟子を神通力によって向かわせました。

3週間後、阿闍世は韋提希や仏弟子が頻婆娑羅王に接触していることを知り激怒します。阿闍世は母親である韋提希を殺害しようと考えますが、大臣である月光と同僚の耆婆が諌めます。そこで阿闍世は殺害を思いとどまり、母親を王宮の奥深くに閉じ込めました。

韋提希と釈尊のお話

韋提希の願い

韋提希は深く悲しみ、耆闍崛山の釈尊の方へ「目連尊者と阿難尊者を遣わせてほしい」と願います。釈尊は願いを聞き入れ、自身も王宮にお出ましになりました。その尊い姿を見た韋提希は泣き崩れ、「なぜこのような悪い子を生んでしまったのか、どうか悩みのない世界を教えてください」と嘆きます。そこで釈尊は7つの仏の世界を韋提希に見せます。韋提希は中でも極楽世界の阿弥陀仏の世界に惹かれ、「その世界を思い描く方法を教えてください。私の観が成就する方法をお教えください。」と頼みます。すると釈尊は口から5つの光を出し、頻婆娑羅王のもとに送り、頻婆娑羅王を迷いのない世界へ先に向かわせます。

阿弥陀仏の世界へ向かう方法

「極楽世界を求めるのであれば、次の3種の善い行いを修めなさい。1つには親孝行をし、年長者に仕え優しい心を持って十善を修めること。2つには、仏法僧の三宝に帰依し、戒めを守り行いを正すこと。3つにはさとりを求める心を起こし、大乗の経典を唱え他の人々に教えること。」と釈尊はおっしゃいました。その途端に無量寿仏(阿弥陀仏)と観世音・大勢至の2菩薩が、釈尊の力によって韋提希の前に現れます。

阿弥陀仏とその菩薩を見る方法

第七の観

感動した韋提希は、「私は釈尊の力により無量寿仏を拝見できましたが、釈尊亡き後はどうすれば拝見できるのでしょうか。」と尋ねます。そこで釈尊はおっしゃいました。「次のように思い浮かべなさい。七つの宝で出来た大地のうえに蓮の花がある。蓮の花びらは100の宝の色を持ち、花びらのすじは8万4千のすじで光り輝く。花びらと花びらの間は百億の宝で飾られ、千の光を放つ。・・・これらは仏のすぐれたはたらきを表している。このように思い描くことを華座想といい、第七の観と名づける。」

第八の観

釈尊の言葉は続きます。「このようなすばらしい花は法蔵菩薩の本願の力でできたものである。もし仏を思い描くならば、蓮の台座、花びら、宝玉などを丁寧に想う必要がある。これができれば長い間の罪が消え、極楽世界に生まれることができる。

これが終わったら次は仏を思い描きなさい。まずはその像を浮かべ、蓮の花に座っている姿を浮かべなさい。心の目を開いて極楽世界をはっきりと見えるようにする。

さらに次は、仏の左右に大きな蓮の花を思い描き、そこに観世音菩薩と大勢至菩薩が座っているところを思い描きなさい。これが完成すると一仏二菩薩がその国に道渡っていることを見ることができる。

これが終わったら、すぐれた教えを聞くことが出来る。その内容が経典と合っていれば極楽世界を見たと言える。このことを第八の観と名づける。」

第九の観

さらに続きます。「これが終わったら、無量寿仏の真の姿と光明を思い描きなさい。無量寿仏の姿を想像すれば、全ての仏の姿を想像したことになる。これができれば来世には仏がたの前に生まれることができる。これを第九の観と名づける。」

上品上生・中品下生・下品下生

続きます。「次の3種の心を起こしたものは往生できる。それは至誠、深心、回向発願心である。また次の3種の行を修めるものはみな往生できる。それは、優しい心を持ち戒めを守り修行すること、大乗の経典を唱えること、6念の行を修めることである。その国に生まれたいと願い、一日から七日功徳を積めば、ただちに往生するだろう。その後阿弥陀仏や多くの仏の教えを聞き、再度極楽世界に戻れば、これらの教えを決して忘れなくなる。このことを上品上生と名づける。

また、善良な者のうち、親孝行をして思いやりの心を持ったものは、命を終えるときに西方極楽世界に生まれる。そこから菩薩から尊い教えを聞き、阿羅漢となる。これを中品下生と名づける。

さらに大罪を犯したものは、仏を念じることができない。そこで南無阿弥陀仏と10回唱えれば罪が除かれていき、極楽世界に生まれる。そこから菩薩の教えを聞きさとりを求める心を起こす。これを下品下生と名づける。」

この教えを・・・

最後に釈尊は、「この教えを”極楽世界と無量寿仏および観世音菩薩・大勢至菩薩を観ずる経”と名づけまた、”これまでの悪い行いもさまたげとはならず、仏がたの前に生まれる経”と名づける。この教えを決して忘れることなく観仏三昧を行えば、無量寿仏と菩薩の姿を見られるだろう。」と仰いました。

佛説観無量壽経の解説

だいぶ空想色の強いお経となっていますが、ここで述べられているのは仏様の姿を想像することや、名を唱えることにより極楽世界に往生できるということです。浄土真宗が広く普及したのは、簡単に誰でも救われるのだという教えによるものですが、その根拠となるのが佛説観無量壽経で述べられていることになるわけです。